夜と霧 ヴィクトール・E・フランクル
「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」 その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。ついには節操を失い、堕落することにつながった。なにしろ「目的なんてない」からだ。このような人間は、過酷きわまる外的条件が人間の内的成長をうながすことがある、ということを忘れている。これは非本来的ななにかなのだと高をくくり、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていたほうが得策だと考えるのだ。このような人間に成長は望めない。ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。 「生きていることにもうなんにも期待がもてない」 こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。
受け入れがたい現実にたいして、こんなはずじゃなかったのにとぐるぐる思っていてもどうにもならない。
ただ、外的要素にたいして自分には何ができるか、どのような態度をとるかが大事だ。(フィッツジェラルドも売れると信じて小説を死ぬまで書き続けた。)